セントノア病院

こころのこもった医療と介護を実践し、患者様の「安全の場」づくりに全力で取り組んでいます。
川越セントノア病院 春日部セントノア病院
  • 2012年1月1日 『リーダー達よ、心せよ』

    激動の1年が過ぎ、又、新しい年が始まります。早いもので私が川越セントノア病院を設立して10年目、春日部セントノア病院は7年目に入ります。準備期間を入れれば既に十数年、一昔前にもなりますが、設立を計画した当時は、認知症患者の専門病院は全国でも皆無に近く、適合される法律さえ満足にないような状態でした。そして医学的にさえろくに解明されていなかった認知症は、全国で激増しているにもかかわらず、厚労省内では認知症が精神科に属するのか、はたまた他科に属するのか、真面目に議論されていたという笑えない話もあったそうです。

    そんな世相の中での病院設立でしたので、医療スタッフも看護・介護スタッフも、全てにおいて手探り状態でのスタートでした。私は病院を設立するにあたって、私自身の理念・信念だけはどうしても全職員に理解し、共有してほしいとの願いから、長く老人医療に携わってきた実際の経験談、そして医療からも福祉からも邪魔者扱いされ続けてきた認知症患者をどう救うべきか、医療界に席を置く者としてどう向き合うべきかを真剣に考え、その思いのたけから病院設立に至った経緯を何回か聞いてもらいました。多くの職員たちはそんな私の思いを理解と共感をもって迎えてくれました。そして、現在の医学の下、病院として、認知症患者の医療は、看護・介護はどうあるべきかを真剣に考え、議論し、それこそ手探り状態の中で研究をし、勉強をしてくれたのです。

    当時の我々も、又、スタッフたちも本当に使命感があり、覇気がありました。そして10年。認知症専門病院としての理想と現実の狭間で悩みながらも、信念をもって患者さんに向き合い、少しずつではあってもセントノア病院の歴史として築きつつあると思ってはいます。が、しかし、人というもの、刻と共に記憶は薄れ、どうしても易きに流れてしまうものです。

    「初心、忘れるべからず」「継続は力なり」、賢人と云われる人たちの言葉はいろいろありますが、解っていても実行していくのは難しいものです。少しずつ風化し、マンネリ化していく。そして知らず知らずの内に使命感も信念も薄れ、スタッフからは笑顔も薄れ、機械的な業務だけをこなしていく。

    私はこんな病院を、そして病院とは名ばかりの病院をいくつも見てきました。セントノア病院がそんな病院になっては絶対にいけないし、それこそ病院としての存在価値がなくなってしまいます。

    病院というところ、年数と共にスタッフも少しずつ入れ替わります。そう、新しい仲間たちが増えていくのです。この新しい仲間たちが、明るい職場で、明るい笑顔で、使命感を持って仕事をしていく病院でなければなりません。

    リーダー達よ、設立当初の頃の使命感、覇気を忘れないで欲しい。そして新しい仲間たちにもこの使命感、この覇気を継承するよう指導して欲しい。セントノア病院が認知症患者とそのご家族から、そしてこの世の中から、是非とも必要なんだと言われ続けるために。

    常務理事・事務局長 瓦井 洋

  • 2012年1月1日 『想定内と想定外』

    昨年2011年3月11日の東日本大震災は歴史的な大被害をもたらしました。地震と津波の二重の惨禍であります。この地震は想定外だったという意見をよく耳にします。しかし、合理的・科学的に歴史を検証すると、今回の地震・津波に準ずるものは、明治以降でも、明治三陸地震津波・昭和三陸大地震、そして今回と約百年の間に3回おきているとのことです。ということはそれ以前にも何度もあったということでしょう。これを想定外といえるだろうかと疑問を覚えます。新聞記事によると、宮古市のある地域には、60メートルの高台に石碑があり、「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」と刻まれているとのことであります。その教えを守った世帯は全員無事だったそうです。また岩手県普代村では過去の教訓に学び、巨大水門と防波堤を作ったことで被害を免れたとのことであります。大津波を想定内として対策を取られた住民がおられたわけです。

    また、今回の惨事を大きくした原因の一つに情報の不正確なこともいわれています。住民への情報と実際の大津波の来襲との時間差が20分から45分と相当の幅があり、この時間の差が避難民にとって致命的となったでありましょう。地震や情報科学の技術の進歩で改善できることであると思います。先の大戦後の敗戦の焼け野原に呆然自失と立ち尽くした日本国民を誰もが想定しなかったでしょう。しかしその状況を殆どそのまま想定して、反戦記事を書いた海軍の軍事記者がいたと聞いたことがあります。もちろん発刊後数日でその記事は撤収されました。その記者にとっては敗戦と混乱は合理的、科学的に考えて想定内のことであったのでしょう。「敗戦の最大の敗因は科学であり、さらに科学的教育の不手際であった」とか、「不足なるは訓練にあらずして科学的研究の熱意と能力である」といわれますが、今回の事変と重ね合わせて考え、貴重な教えとし今後に活かして欲しいものであります。想定内か想定外かは、机上で考えるものではなくて、過去の経験を検証することと、科学、技術の進歩で決まってくることでありましょう。科学的に考える力や習慣、いわば合理的な精神がより強く望まれます。

    ともあれ、今年は皆様にとって、良いことは想定外で、良くないことは想定内であって欲しいと強く望むものであります。

    理事長 赤坂 忠義

  • 2011年12月1日 『年の瀬に』

    師をも走らす12月。もともと病院は盆も正月もないところですから、12月になったからと言って取り立てて何か変わったことがある訳でもないのですが、何となくせわしない気分になってしまいます。
    12月の街々は、正月を迎える準備や忘年会、そしてクリスマスとやっぱり普段の月とは違って見えてしまいます。病院内でもボーナスが支給されますし、家庭や子供のいる職員たちはもちろんのこと、独身の職員たちでさえやはり落ち着かない気分になるようです。
    月初めの全体朝礼では「こんな時期だからこそ気をしき締めて、病院でも家庭でも事故などないように」と、病院長や看護部長が必ずといってもいいくらいに職員たちに訓辞する。こんな光景も12月ならではなんですが…。
    ところで、当院でも12月には恒例となっている病院全体の忘年会が行われます。この忘年会、企画がちょっと変わっていて(変わっている私が企画するのですから当然かもしれませんが)、職員たちへの慰労目的は50%程度しかありません。後の50%は職員たちの団結力・協調性を養う場として活用させてもらっています。ですから病院は職員たちから会費を徴収することは一切ありません。反対に、ただ飲んで食べて歌って騒いで、時には上司の悪口を言って、という忘年会は企画もしませんし、病院も金を出しません。
    前回の「チーム医療」でも言いましたが、我々の仕事は医師も含めたチームで行います。職員たちの団結と協調は不可欠です。チームが一丸とならずして良い医療・良い看護・良い介護など出来るわけもなく、それこそ言葉だけ、絵に描いた餅になってしまいます。
    年1回の忘年会、場所こそ違え、この団結力と協調性を理解し行動をしてもらう一助とすることは病院としても意義のあることなのです。
    では実際にどんな忘年会かというと、それほど仰々しいものではありませんよ。それぞれ病棟ごとに演題を決め、アトラクションとして舞台に出てもらうだけです。演題はもちろん自由です。歌・踊り・寸劇、なんでもOKです。そして表舞台に立つのが苦手な人、目立つのが苦手な人は裏方に回り、衣装作りや舞台装置を作ったりします。それぞれの役割分担を決めるわけです。そして3つの病棟とコ・メディカル+事務等、合計4つのセクションがそれこそ一丸となって題目を演じ、賞を競います。ここでももちろん各病棟看護・介護の責任者である師長の統率力も問われることになります。
    最初の頃は戸惑いも異論もあった忘年会でしたが、今では応援合戦にも熱が入り、職員たちにも十分楽しんでもらえる忘年会になったと自負しています。平成23年も後1ヶ月。3月11日、東北大震災に端を発した世情不安は来年にも持ち越されそうですが、せめて我々は自分たちに与えられた仕事をきちんと行い、悔いを残さない一年にしたいと思っています。

     

    常務理事・事務局長 瓦井 洋

更新情報
  • 2012年1月1日 (川越)
    「病院短信」「イベント」「スタッフ紹介」「病院新聞」を更新しました。
  • 2012年1月1日 (春日部)
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  • 2011年12月1日 (春日部)
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  • 2011年12月1日 (川越)
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