セントノア病院

こころのこもった医療と介護を実践し、患者様の「安全の場」づくりに全力で取り組んでいます。
川越セントノア病院 春日部セントノア病院
  • 2012年5月1日 『診療報酬の改定』

    この四月から診療報酬・介護報酬が同時改定されました。診療報酬は2年、介護報酬は3年毎に改定することになっていますから、同時改定は6年ぶりということになります。
    ところで今回の改定の中で気になることがいくつかあります。その中でも特に気になったのは、高齢者の医療機関として存在する病院での入院期間、高齢者の福祉機関ともいえる「介護老人福祉施設」等の施設での入所期間に、事実上日数制限が設けられたことです。事実上の制限とはどういうことかというと、入院・入所とも始めの3ヶ月は今までの報酬よりも少し高くなりますが、3ヶ月を過ぎるとその報酬は減額され、さらに6ヶ月を過ぎると今まで受けていた6ヶ月トータルの報酬よりマイナスになるという改定です。
    高齢者というのはどうしても入院や入所が長期間になりがちです。今回の改定は、長期になればなるほど減額されるシステムですから、高齢者が多く入院期間が長期にわたる病院や、高齢者専用施設では経営が苦しくなるのは当たり前です。従って今後どこの病院や施設でも、出来るだけ短期での退院・退所をさせようとすることは明らかです。そんな訳で、ご家族の方々にも少なからず影響が出るかも知れません。今後、病院や施設から、患者さんや利用者さんが3ヶ月や6ヶ月での退院・退所を強く迫られる可能性がより高くなることが予想されるからです。
    しかし今回の改定は、ある意味仕方のない部分もあります。別に厚労省の肩を持つつもりはありませんが、もともと介護老人保健施設というのは、老人の社会的入院(すでに治療の必要も無いのに、何らかの理由で家庭に帰れない、または引き取れないために入院をしていることをいう)をなくすために、病院と家庭の中間、つまりその名も「中間施設」として設置され、入所期間も6ヶ月と限定されたものでした。つまり「中間施設」とは、すぐに家庭に帰れない患者さんのためにとりあえず半年間は中間施設にいて、その間に家庭に帰る準備をする、というものだったのです。それが介護保険の創設とともに名前も現在の「介護老人保健施設」となり、入所期間もいつの間にか1年以上の長期にわたることも当り前となっている現実があるのです。つまり「社会的入院」が単純に「社会的入所」に替わっただけともいえるでしょうか。
    今回の改定は、その辺りを厳しくし、何がなんでも家庭に帰そうとの意図が見えます。しかし、この政策にはどうしても無理があります。以前にも「社会的入院」のことは書きましたが、「社会的入院」や「社会的入所」が当り前のように存在してしまうその裏には、この国の社会福祉政策の貧困さが大きな原因としてあるからです。つまり、退院・退所してからの社会復帰の受け皿を家庭にだけ求め、欧米のように老人ホームや高齢者施設を受け皿として造ってこなかったことが原因です。
    家庭が受け皿となりにくい現代社会の今、今回の改定によって病院や施設をたらい回しされてしまう患者さんや利用者さんが出てこないことを私は切に祈るばかりです。
    ともあれ法令は改定されました。法に従わなければならないのは我々も同じです。しかし、セントノア病院は病院理念として、患者さんが最後の刻を迎えるまで入院を認めてきました。報酬が下がるからといって、理念を曲げてまで3ヶ月・6ヶ月での退院を強制するなどという考えは全くありません。それにもう一つ、我々の病院は患者さんのみならず、ご家族の力になることも目的としていますから。

     

    常務理事・事務局長 瓦井 洋

  • 2012年4月1日 『自然死を勧める本』

    「大往生したけりゃ医療にかかわるな」。先日、医療人にとってはかなり凄まじいショッキングな題名の本を読ませてもらった。著者は京都大学出身の医師で、現在は特別養護老人ホームの常勤医である中村仁一さん。この本、一言で言えばなかなか面白い。過激すぎるきらいはあるものの、私などは殆どが頷いてしまう内容でした。もちろん医師という職業についている他の先生達にしてみれば、反論したい部分もかなりあるはずですが、私も長年、老人医療に疑問を持ってきた一人ですから思わずにやりとしてしまいます。そんな中からひとつふたつ挙げてみましょうか。
    皆さんが誤解しがちな、またはすでに誤解している「世間に歴然とある医者の序列」の話。まず「序列の頂点が大学病院の医者、次が国立病院や日赤・済生会・県立・市立などのいわゆる税立病院。そして次が民間の大病院、中小病院の医者の順で、一番下が町医者といわれる開業医」。中村先生に言わせると特養や老健にいる医者はそれ以下なんだそうです。確かにこの国には医者個人の実績や業績の情報がほとんどありません。ですから、病院の序列の上のほうの医者が評価が高いのは止むを得ないのかも知れません。つまり病院の序列と医者の実力が比例すると勘違いをされている方が多いということでしょうか。
    もうひとつ、医者の「医学博士号」の話。皆さんは、あの先生は医学博士だから腕がいい、良い先生だと思っていませんか。これも中村先生は、「博士号は学問的業績、研究や論文の評価で授与されるので、医者としての臨床実績や手術の腕の良し悪しとは関係ない」といっています。私も大分以前に聞いたことがありますが、医療業界にはこんな言葉もあるそうです。博士号は「足の裏についた飯粒」。その心は「取らなきゃ気持ちが悪いが取っても食えない」。
    さてこの本の本題は「自然死のすすめ」です。
    我々のような中小の病院であっても、医療を行うことが本分であることに変わりはありません。その病院の一員でもある私が、自然死を推奨するのは、皆さん変に思われるかも知れません。しかし医療は万能ではないのです。どんな大病院であろうと、どんな最先端医療を施そうと、所詮、人はみな「老いて死ぬ」という枠内のことで、そこから逃げることは出来ません。それだからこそ、最後の刻が近づいてきた患者さんには、その人の逝き方に、病院として医療や看護・介護がどう寄り添えるのかを考えなければなりません。私は、それこそが「人を診る医療」ではないのかと思っているからです。中村先生の言うように、その人の「逝き方」は、その人の「生き方」なのだと私も思います。
    中村先生はこうも言っています。『本来「老いて死ぬ」という自然の営みは、穏やかで安らかだったはず。それを医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまった』と。実はこの言葉こそが今から十年前、川越セントノア病院を立ち上げるときに、私のパートナーであった故赤坂先生と私とが大激論を交わした内容そのものだったのです。そして当院の理念である「延命治療はしない」「身体拘束はしない」という基本方針はここから生まれてきたものなのです。

     

    常務理事・事務局長 瓦井 洋

  • 2012年3月1日 『当たり前の話』
    今年の寒波は凄まじい。この寒波の影響は特に北ヨーロッパで激しく、ドナウ川が凍結、氷の厚さが50pにも達し、その河畔の国々では洪水を防ぐために砕氷船が出動する騒ぎだったとか。
    日本にもこの寒波の影響は各地に及んでいます。降雪の実害は北国では相当深刻な問題ですが、雪の少ない関東平野に住む私達にはあまりピンと来ません。それでも関東地方の超低温と乾燥した晴天続きの毎日は、早々とインフルエンザの蔓延を引き起こし、高齢者を預かる我々のような病院では、感染者を出さないように神経をすり減らす毎日でした。幸いにも今のところ両病院ともインフルエンザに感染した患者さんは一人も出ていませんが、まだまだ安心は出来ません。
    ところで、この国の政治は一体全体どうなっているのでしょうか。野田サンは不退転の決意とかで社会保障と税の一体改革と称し、我々庶民には負担の多い消費税の増税ばかりを言っています。
    各メディアの世論調査を見るまでもなく、約60%の国民は消費税増税を容認しているのですが、一方で野田さんの言う政府案には反対しています。それは増税より前に行政改革による無駄の削減や国会議員の定数や歳費の削減、公務員給与の削減など、与野党全ての国会議員に「身を切る」努力が必要だと誰もが思っているからです。野田サンはこれらのことを全て棚上げし、先送りしました。
    議員サンや官僚サンの既得権益にはいっさい手を付けず、消費税だけを上げようなんて、こんなところで不退転の決意を使われたのでは堪ったものではありません。誰が考えてもこんな「当り前」のことが今の国会のセンセイ達には理解が出来ないらしい。
    それにしても近頃の世の中、何か変だと思いませんか。3・11の震災に始まって、原発事故後の政府・官僚、そして東電トップの危機管理意識のかけらもないドタバタ対応や会見。まだまだありますよ。最近では沖縄防衛局長の選挙誘導まがいの言動、そんな官僚の直属の上司である防衛大臣は、国会審議中にもかかわらずコーヒーを飲みに行っていたとか。どっちもどっちというか、同病を相憐れんだのか防衛局長を罷免も出来ずに「もうコーヒーは飲みません」なんて!こんな答弁は今時の小学生だってしませんよ。
    議員や官僚ばかりではありません。ギャンブルで100億円も使ってしまう大王製紙のお坊チャマや、1300億円以上ともいわれる損失を隠し、粉飾決算を行っていた光学機器の名門オリンパスの経営陣の皆サン。ほんの一部の人達とはいえ、昨今のこの人たちの言動を見るにつけ、私たちが常識と思ってきた「当り前」の定義が壊れてしまったのかと思えてなりません。笑い事ではないですよ。なにしろこの人たちによってこの国が動いてしまうのですから。
    「当り前」。広辞苑によれば、当り前とは【そうあるべきこと。当然。】となっています。最近はこの「当り前」が「当り前」ではなくなってきているのでしょうか。広辞苑の解釈がずれてきているのか、私の感覚がずれているのか。いずれにしても、当たり前のことを当り前のように考え、当り前のように行動できる、そんな世の中であって欲しいと私は思うのですが…。
    我々病院の職員も、医療に携る者として、また社会人、職業人として、当たり前のことを当たり前のように行動できる職員であって欲しいと強く願わずにはいられません。当たり前のことをやっているのにあえてそれを褒めなければならない世の中では、ちょっと辛すぎると思いませんか。

     

    常務理事・事務局長 瓦井 洋

更新情報
  • 2012年5月1日 (春日部)
    「病院短信」「イベント」「スタッフ紹介」「病院新聞」「さくら日記」を更新しました。
  • 2012年5月1日 (川越)
    「病院短信」「イベント」「スタッフ紹介」「病院新聞」を更新しました。
  • 2012年4月1日 (春日部)
    「病院短信」「イベント」「スタッフ紹介」「病院新聞」「さくら日記」を更新しました。
  • 2012年4月1日 (川越)
    「病院短信」「イベント」「スタッフ紹介」「病院新聞」を更新しました。
RSS1.0